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Topics 2009年2月7日

「志賀の里七不思議」

興隆寺のある志賀郷(しがさと)地区には、古来より「七不思議」の伝説があります。そのうちの二つはただの「伝説」ではなく、実際に冬の神事として現在も行われています。

 興隆寺の住職は、かつて(明治初年の神仏分離令以前)この「七不思議」にかかわりのある三つの神社(阿須々伎神社、諏訪神社、若宮神社)の別当(べっとう)を務めていましたし、興隆寺と合併した願成寺は篠田神社別当でした。つまり、興隆寺・願成寺住職はこれらの神社の神事を執行する立場にあったわけで、興隆寺・願成寺と「七不思議」はもともと深いつながりがあったといえます。

 志賀郷公民館所蔵の「七不思議縁起」や、西方町宝満寺所蔵の「志賀郷七不思議由来記」などをもとに、「七不思議」の概略を紹介します。

 

「七不思議」(1) 藤波(ふじなみ)神社の藤

 西方にある藤波神社では、毎年正月一日に不思議にも藤の花が咲いたので、これを朝廷に献納するのが通例となっていた。ところがある時、使いの者が途中でひそかに容器を開いて見たところ、藤の花はたちまち一羽の白鷺となって飛び去った。それ以来、藤は咲かなくなったという。

 

藤波神社(西方)

 

 

「七不思議」(2) 阿須々伎(あすすき)神社の茗荷(みょうが)

 金河内(かねごうち)の阿須々伎神社では、毎年正月の三日早朝、境内の神田の中に茗荷が生える。その生え具合によって、その年の稲をはじめとする農作物の豊凶、天災の有無を占うことができる。

この行事は現在も23日の節分の日に行われている。

  阿須々伎神社(金河内)

 

「七不思議」(3) 篠田(しのだ)神社の筍(たけのこ)

 篠田にある篠田神社では、毎年正月四日の早朝、境内の竹林の中に筍が生える。その位置や大きさ等によって、その年の稲をはじめとする農作物の豊凶、天災の有無を占うことができる。

 この行事は現在も24日に行われている。

 

  篠田神社の竹林(篠竹)(篠田)

「七不思議」(4) 若宮神社の萩

 志賀郷にある若宮神社では、毎年正月五日午前中、神社の前に植えられていた萩の花が咲き、その花の咲き具合によって農作物の豊凶を占った。藤波神社の藤が絶えて間もなくこの不思議もなくなったという。

 

 若宮神社(志賀郷)

 

「七不思議」(5) 諏訪(すわ)神社の柿

 志賀郷にある諏訪神社では、毎年正月六日朝、神前の柿の花が咲き、実がなり、日中に熟するので、朝廷に献上するのが通例であった。ところがある時、使いの者が途中喉の渇きを覚え、人家に入ってお茶を飲んだところ急に腹痛を起こし、大騒ぎの最中、献上の柿の入った箱が北の方に飛び去ってしまった。それ以後この不思議もなくなり、神社には今は代わりの柿の木が立っている。

 

  諏訪神社の柿の木(志賀郷)

 

「七不思議」(6) 滴松(しずくまつ)

 向田(むこうだ)の地に「滴松」という松があり、雨が降るようにしずくがポタポタ落ち、その日の吉凶や水難を示した。ところが、戦国武将の明智光秀が福知山城築城の際、天守閣の棟木として伐採したため消失したという。

 

「七不思議」(7) 動松(ゆるぎまつ)

 同じ向田の少し離れた所に「動松」という松があり、風もないのに枝を揺らした。都に吉事がある時は上の枝が揺れ、凶事がある時は下の枝が揺れたと伝える。滴松と同じ理由により消失したという。

 

 思うに、この「七不思議」は、いずれも神社の境内に生育する竹や草木(五つ)、山林に自生する古木(二つ)などの植物にまつわる「不思議」で、自然物の「命」の有り様の中に人の世の吉凶を見る、つまり、「山川草木の自然あってこそ人の命がある」という、古来から「農」を基盤として生きてきた民衆の世界観を示しているのではないでしょうか。また、奇しくも戦国の世に起こった巨大建築の波が、太古の面影を残していた森を破壊したという言い伝えは、深刻な環境問題に直面する私たち現代人への警告とも受け取れます。